2026年10月20日。いよいよ、種子島宇宙センターからの打上げが決定したJAXAの火星衛星探査計画「MMX(Martian Moons Exploration)」。
世界初となる火星の衛星「フォボス」への着陸とサンプルリターンという壮大なミッションに向けて、プロジェクトは大きな節目を迎え、期待と緊張が高まっています。
日本の深宇宙探査の最前線である、当プロジェクトの公式ミッションマークは、2023年AQUENT主催のオープンデザインコンペを通じて誕生しました。
数多くの応募の中から最終選考で選ばれたのは、デザイナー小林佐季子(SAKIKO KOBAYASHI)氏の作品。
彼女のデザインは、宇宙開発という壮大なプロジェクトの意思を一つにし、世界中の多様なプロフェッショナルをつなぐ象徴として、その役割を果たしています。
今回は、JAXA MMXミッションマークプロジェクトチームのメンバーと、デザイナー小林 佐季子 氏の対話を通して、共創デザインが果たすクリエイティブの役割と、壮大な宇宙への想いに迫ります。
宇宙開発におけるミッションマークの意義と、今回MMXプロジェクトにおいてデザインコンペによる公募を実施した経緯について教えてください。

JAXA 馬場氏: 宇宙開発の世界には、NASAをはじめとして古くから続くミッションマークの文化があります。探査機や人工衛星の開発、あるいは有人宇宙飛行に臨む際、チーム全員の連帯感を高め、自分たちが挑むミッションの目的を明確にするために作られてきた象徴的なものです。
MMXは、地球から遥か離れた火星の衛星フォボスに着陸し、世界初となる火星圏からのサンプルリターンを目指す極めて挑戦的なミッションです。JAXA宇宙科学研究所(以下、宇宙研)では、2010年に帰還した「はやぶさ」、2020年に帰還した「はやぶさ2」と、約10年周期で小惑星からのサンプルリターンを成功させてきました。
現在、米国や日本が主導する国際月探査アルテミス計画によって月面開発が進み、その先にある火星へと人類の活動領域を広げる大きな流れがあります。2026年に打上げ、2031年に地球へ戻ってくるMMXは、その歴史と未来を継承する10年に一度の国家的な大型探査計画なのです。
使用する探査機も重量約4.5トン、高さ・幅ともに大型で、宇宙研がこれまで作ってきた探査機の中でも最大級のスケールとなります。
これほど巨大かつ高難度のプロジェクトを着実に推進し、長期間にわたる運用をやり遂げるためには、チームの士気を高め、意思を一つにするシンボルがどうしても不可欠でした。
外部のクリエイターと共創する公募デザインコンペを選択されたのはどうしてですか?
JAXA 馬場氏: MMXは多額の国費が投入される国家プロジェクトであり、成果を着実に出すことはもちろん、そのプロセスや魅力を社会へ広く発信していく活動が非常に重要になります。
自分たちの中だけでマークを完結させるのではなく、プロのクリエイターや社会と関わりながら共創していくオープンなプロセスそのものが、プロジェクトの認知拡大やブランディングに繋がると考えました。
私たちは普段から、WebサイトやSNSなどを通じて、関係者の顔が見える広報を意識して活動しています。専門的な宇宙科学の世界と一般社会を結びつける架け橋として、外部のデザイナーの新鮮な視点を取り入れ、共にミッションの顔を作り上げていくアプローチは非常に大きな意味を持っていたと感じています。
ファイナリストの中から小林さんの作品が最終採用されましたが、小林さんはどのようにしてこのデザインの構想へたどり着いたのでしょうか?

小林氏:最初にお話を伺った際、一般的な企業ロゴや商品のブランディングデザインとは根本的にアプローチを変える必要があると感じました。
通常の商品ロゴは、特徴を尖らせて消費者に直接訴求する役割が大きいです。
しかし、ミッションマークは、プロジェクトに関わる世界中の方々が自分たちのマークだと意識し、自らの言葉で語れるようなものでなければなりません。
そのため、意味が複雑すぎたり、逆に概念が固定されすぎてしまったりするアイデアはあえて削ぎ落としました。
そして、たどり着いたのが「輪」というコンセプトです。
中央に火星を配置し、周りを巡る2つの衛星(フォボス、ダイモス)、探査機の軌道、そしてJAXAと海外4機関(CNES、DLR、NASA、ESAなど)を象徴する5つの要素を一つの滑らかな「輪」として描きました。
この輪の形には、メンバー一人ひとりの役割が連なって全体の大きな力になること、そして挑戦的な強さと調和の柔らかさを両立させるという精神を反映させています。
【参照】JAXA:宇宙に国境はない ― MMXを支える国際協力のかたち ―
チームの皆さんは、選考時や完成したマークをご覧になった際、どのように感じられましたか?
JAXA 馬場氏: チーム内での投票でも、小林さんの作品が最も多くの支持を集めました。
中心に火星があり、探査機があり、そこから協力の輪が広がっていくという構図がとても美しく、私たちが目指すミッションの理念と見事に合致していたからです。
JAXA 宮崎氏: 特にMMXの立ち上げ期は、コロナ禍と重なった時期でもありました。
プロジェクトに関わるメンバーは世界中に散らばっており、対面で集まることが難しく、リモート会議を重ねる日々が続いていました。
MMXの現場では、北海道の過酷な山奥で砂を採取する実験を行うエンジニアもいれば、海外の研究機関で超精密な観測機器を組み上げる研究者もいます。
それぞれが全く異なる環境で異なる作業を行っている分散型チームにおいて、このミッションマークは、自分たちは何のために集まっているのか、という原点を提示し、全員の気持ちを一つにする共通の軸となってくれました。
小林氏:そのお話を聞いたとき、本当に胸が熱くなりました。
デザイナーとして視覚的な美しさを追求するだけでなく、人々が困難な作業に立ち向かうときや迷ったときに、立ち戻れる場所を提供できることこそが、デザインの力なのだと実感しました。
デザイン決定後、実際のミッションマークとして細部を仕上げていく調整フェーズでは、どのようなやり取りがありましたか?

小林氏:最後まで最も迷い、徹底的にこだわったのが火星や衛星、探査機のディテールの表現です。記号的なロゴマークにするのではなく、専門家の方々のこだわりや科学的リアリティを反映できるよう、あえて簡略化しすぎない表現を意識しました。
JAXA 馬場氏:科学的な知見から言うと、衛星フォボスは太陽光の反射率が非常に低く、人間が近くで見たら石炭のように真っ黒に見える天体なんです。
しかし、そのまま黒一色で描いてしまうとグラフィックとして埋もれてしまいます。そこで、認識しやすいコントラストを保ちながらも、専門家が見ればひと目でフォボスだとわかる特徴的な地形を描き出す必要がありました。
小林氏:フォボスにある巨大な凹みクレーター「スティックニー」の凹凸感や、火星の北極・南極に見られる氷の描写などは、JAXAの皆様からフィードバックをいただきながら何度も微調整を重ねました。
プロの方々がこれだと思えるポイントと、グラフィックデザインとしての美しさをいかに両立させるか。皆さんの熱い想いに触れながらデザインを磨き上げていく時間は、私にとっても非常にワクワクする経験でした。
JAXA 宮崎氏:小林さんが私たちの専門的なこだわりを深く汲み取り、美しいデザインへと昇華させてくださったことには本当に感謝しています。
一般の方々が見て直感的に惹きつけられる美しさと、現場の研究者が納得するリアリティが見事に融合したマークに仕上がりました。
完成したミッションマークは、現在JAXAの現場でどのように活用され、浸透していますか?

JAXA 馬場氏: 打上げ時には、ロケット先端のフェアリング(探査機を保護するカバー)に大きく印刷されて宇宙へ向かいます。しかしそれだけでなく、日々の開発現場や広報活動、スタッフの意識向上においても大活躍しています。
メンバーが着用するワッペンやピンバッジ、名刺、プレゼン資料、ポスター、各種ノベルティグッズなど、あらゆる場面でこのマークが使われています。私自身もジャケットや胸元にピンバッジやワッペンを付けていますが、これを身につけると誇りと使命感が湧き、自然と気が引き締まりますね。
JAXA 宮崎氏:イベントなどで配るピンバッジでは、探査機の下部に取り付けられている小さなサンプラーの脚の形状まで細かく再現しているんです。
こうした細部のこだわりがあるからこそ、関係者だけでなくファンの方々にもマークへの愛着がより深く伝わると感じています。
小林氏:今日、相模原の現場にお伺いして、プロジェクトに関わるみなさんが実際にマークを胸に付けたり、ストラップで下げたりされている姿を直接目にして、とても感激しました。
画面上のデジタルデータだったデザインが、現場で人々の手によって身につけられている様子を見たとき、初めてデザインがプロジェクトの一部になったと実感でき、胸が躍りました。
JAXA 馬場氏:探査機は2026年に打上げられた後、約1年かけて火星圏へ向かい、火星圏で3年間の観測・探査を行った後、さらに1年かけて地球へ戻ってくるという5年間の長旅に出ます。
往路モジュールを切り離してフォボスに着陸するなど、探査のフェーズが進むにつれて探査機の形態も変わっていきます。今後はミッションの進行に合わせて、マークのバリエーション展開なども小林さんと一緒に検討していけたらいいですね。
いよいよ2026年10月の打上げに向けたカウントダウンが本格化します。皆様の今の想いをお聞かせください。

JAXA矢治氏:まずは打上げが成功し、探査機が無事に火星圏へ到達してほしいです。
そして、探査機が捉えたフォボスや火星の鮮明な映像が地球へ届く瞬間を心待ちにしています。その感動を世界中の人々と分かち合えるよう、私たちとしても全力を尽くします。
大規模で多様なメンバーが集まるチームだからこそ、コミュニケーションを重視し、このミッションマークを共通の旗印としてみんなでミッション成功へ向けて進んでいきたいです。
JAXA馬場氏:私たちはJAXAという国の機関として開発を進めていますが、その目的は日本一国のためだけではなく、世界人類の科学的進歩に貢献することです。
その大きな使命感を胸に刻み、打上げとこれからの5年間の運用を着実にやり遂げていきます。
最後に、このマークが宇宙へ旅立つ瞬間への期待と、これからの時代を担う次世代のクリエイターへのメッセージをお願いします。
小林氏:このマークが宇宙へ旅立つとき、プロジェクトに関わるすべての人の気持ちが一つに集中し、強烈な緊張感とワクワクが入り混じり、今まで体験したことのない感情を味わうのだと思います。
その瞬間を共にする象徴のデザインに関われたことは、私にとって何物にも代えがたい経験です。
デザインは、作り手の中だけで意味や形が決まるものではありません。生み出されたものが多くの人の目に触れ、それぞれの想いや解釈と出会うことで、その意味は広がっていきます。
だからこそデザインには、個人の発想を超えて、人や組織、社会をつなぐ力があります。
失敗を恐れずに試行錯誤を重ね、異なる専門性を持つ人たちと共に創り上げる喜びを大切にしてください。
まとめ
宇宙科学という専門領域と、人の心に訴えかけるグラフィックデザイン。一見すると遠い世界にある2つの領域が、未知への挑戦とチームの意思統一という共通の目的に向かって結びついたMMXミッションマークプロジェクト。
2026年10月、世界中の人々の想いと「輪」のストーリーを乗せたミッションマークを胸に刻み、探査機MMXは遥かなる火星圏へと飛び立ちます。
デザインの力が生み出したひとつの象徴が、人類の科学の未来を明るく照らしていくことでしょう。
【Interviewee】

馬場 肇 氏
理学博士
JAXA 宇宙科学研究所
火星衛星探査機 プロジェクトチーム
ファンクションマネージャー

宮崎 理紗 氏
理学博士
JAXA 宇宙科学研究所 月惑星探査データ解析グループ
火星衛星探査機プロジェクトチーム
主任研究開発員

矢治 健太郎 氏
JAXA 宇宙科学研究所
火星衛星探査機プロジェクトチーム
主任

小林 佐季子(SAKIKO KOBAYASHI)氏
Creative Director
ロンドンと東京に拠点を置くCreative Director/Designer
ロンドンのデザインエージェンシーJKR Global、Here Designを経て、独立。
ブランディングを軸に、パッケージ、ロゴ、体験、空間、ウェブ等を総合的に手がける。
D&AD, ADC AWARDS, THE ONE SHOW, NEW YORK FESTIVALS, PENTAWARDS,DBA など国際的な賞を多数受賞。D&AD、iF DESIGNの審査員。
※法人名、組織名、役職、インタビューの内容等は取材当時のものです。
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